黒瀬整復院

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院長ブログ 意識の話 3ページ目

手術を大抵のヒトは怖いけれど、その恐怖心を克服すると完全に良くなる・・・と思い→「清水の舞台から飛び降りちゃう・・」の(勘違い)です

では・・、

「私の “挫折” は 一体、何が問題なのでしょうか?」

「どういった自分に負けてしまった・・・のでしょうか?」

色々な捉え方があり、様々な要素が考えられますが、

“世界一ケンカが強くならなかったコト” も、“結果が出なかった” という点では
“挫折” といえば、そうかもしれませんが まあ、そこは私的には全くそうではなくて・・・

「”自分が描いた生活、修行パターン” がとれずに “他人の所為” という形で
進路を変更した・・・コトです。」

“軸(基準)→支点” は、あくまでも 自分にあり自分でコントロールすべきモノです。

ヒトは “軸(基準)→支点” がないと、「何も出来ない ! 何も始められない !!」 のです。
そして、それは自分で完全にコントロールする必要があるのです。

なのに、それを他人に預けてしまった。
言い換えると、他人に振り回されてしまった。
でも、実際には 他人がどうこうではなくて、自分なんですね(苦笑)

で、
何で?私が長々と “身の上話” みたいなコトを書き連ねてきたか・・?と申しますと、

“思考は現実化する”⇒そして、それは我々の捉えるトコロの “物理的な時間” ではなくて、
“宇宙時間”・・とでも言いましょうか 言い方を変えると、
「宇宙的には 我々が “思う・感じるところの時間” は、ほとんど関係ない !」
↓ 
「“潜在意識の世界” では 時間も空間も無く、時空を超えた世界が存在(展開)している。」
となります。

と、いうコトを 
自分の実体験の中で感じ取ってきたモノですから、
それをお伝えするうえで ある程度の私の状況、事情をお話しないと
話の筋がわけわからないだろうな・・?と 思いまして・・・(苦笑)

話を戻しますが、
私は高校生のときに 他人に下駄を預けて、”自分なりの挫折” を経験したわけですが
空手から柔道に戻るときに、担任の先生のご助力もいただき
“とてもスムーズに気持ちの転換が図れた” のです。

これがとても大切な部分です。

“気持ちの転換が図れた !” というコトは “新たな軸(基準)→支点がとれた !!” というコトです。

●スタート地点(基準)から今度は(まずは新たに・・)、ゴールを設定する。

●ゴールへの道順はどう行くか?・・の方法は色々な選択肢がある。

●あたかもゴールをこちらに引き寄せるか?・・のごとくの・・・イメージを創る。

●真っ直ぐ最短距離を最短時間で行くのもいいし、思いっきり寄り道するのも楽しい。
● 寄り道~一見(一聞)、無駄と思えるようなコト~をした方が新たな発見があったりする・・(笑顔)

でも、この話はちょっとおいて置いて・・

“気持ちの転換が図れた !” コトで 楽しい気持ちで新たなチャレンジが出来る !! ということでもあります。

私は空手から柔道に戻り、新たな目標を設定しました。

今度の柔道をやる “目的” は やはり、「そのときの自分よりも もっと強くなる !」 なんだけれども
“目標” は 「オリンピックで金メダルを獲る !!」でした

しかし、現在(実際)の私は オリンピックには出られませんでした。ですから、金メダルも持っていません(涙)

ですから、私は “結果が思うように出なかった。出せなかった・・” という意味においては、
2度目の “挫折→挫折?的・・” をしたコトになりました。

が、
この “2度目の挫折?的・・時” では
「他人の所為で目標が果たせなかったのではなく
、ただ単純にオリンピックで金メダルを獲れる程強くはなかった・・だけのコトでした。」

で、
この時も、すぐ後から “気持ちの転換がとても上手に図れました”(笑顔)

なので、
言わせて頂けば 「気持ちの転換が上手に図れるのが、俺の良いトコロ→凄いトコロ・・だぜ !!」です。

そして、
現時点では “3度目の挫折” はしておりません。
もちろん、「小さな失敗や焦燥感みたいなコトを感じるトキはゼロではありません・・が
そんなの関係ない !! 」です(笑顔)

時々このブログでお話している 「私の目標・・・魔法が使えるようになる !!」は着々と進行中なわけです。

そして、今回お伝えしたい「思考は現実化する」の実体験として

空手をやっていたときの
“自分が描いた毎日”⇒「修行パターン・生活パターン」は “治療の道” に入ってから経験することになったのでした。

私は “ほねつぎの修行” を師匠の下で11年間、いわゆる 丁稚奉公したのですが、
その期間はまさしく 休みは無く、自由時間もほとんどない。
仕事中にはもちろんのコト・・戦々恐々ちょっとでも気を抜いたらどやされる。
たとえ、プライベートな時間であるハズの時でも全く気が抜けない・・・
という 生活をしていました。

そして、”修行期間を卒業” して 独立開業した後も 十年間くらいは似たような感覚で
仕事→生活を送っていました。

ただ、独立してからは 修行中よりは色々な意味で少しずつ “自由な身” になりましたので、
自分なりの “治療の道” を模索しながら 沢山の勉強は進めていきました。

そういった流れでの「脱力」であり、「現在の治療方法」 「意識とは・・・」
そして、「”考え方→価値観の形成”」 であるわけなんです。⇒「宇宙の法則の整理」等

で、
結局 時間的には、柔道に復活してから 少しずつ、「思(想い)考が現実化」し始めて、
“形や内容を変えながら” 現在も、黙々・着々と続いているのです(笑顔)
(柔道→ほねつぎ~脱力~総合治療⇒ 「宇宙の法則」への気付き→整理~価値観の形成 等)

「自分の最高の価値観の形成」


※大成功を果たしている方々の中には、、

「変化は突然現れる・・・」←「変化へのキッカケは瞬間に起きます」

とか、

「モノ・コトの難易度や大きさ、数量等と実現にかかる時間は関係ない・・・」

などと おっしゃる方もいらっしゃいますが、

現段階での私の実感としては・・・ 

やはり、
 
「普通に考えたところの実現達成の難易度の高さやコトの大きさ・数量の多さ 等はその実現時間と連動する !」

「大変なコトを成し遂げるにはそれなりの時間を必要とする !!」

というトコロであります(苦笑)

“受信機” というか、”サーバー” というか、「宇宙からの情報を受け取るための “チューニング力”」 が
まだまだこれから・・・なのだと思います(苦笑)

なので、
修業は続くよ・・どこまでも・・・(笑顔)です


手術(外傷を人工的に負わ)して、治るときに 表層でケロイドか起きたり、内部で癒着が起こるコトが結構あるのです(冷汗)

私は中学校三年生の夏休みの間、
両親には高校受験のための夏期講習に通っているコトにして毎日朝早く家を出ていました。

実際には自分は 夏期講習なんて受けていないんです。

でも、一応 夏期講習を本当に受けている友達が一人居て
そいつが終わるのを会場近辺をうろつきながら待っていて、
“準備体操” をしていたのです(苦笑)

なんの準備体操か・・?と言いますと・・・

“ケ・ン・カ !→ストリートファイト !!” です。

前にも書いたかも・・しれませんが、私は元々ケンカッぱやいタイプではありません。

むしろ、出来ればモメ事は避けたいタイプです。
モメたく無いから、強くなりたかった。
(正確にはモメ事は大なり小なり必ず起こるので、万が一に モメた時やられるのが絶対に嫌だった・・です)

それは現在でも一緒です。

だから、自分的にはケンカというよりは “試合” だったんです。

なので、決して
“弱い者いじめ” ではないのです。

自分の周りに居たコワイお兄さんから始めて、暴走族やヤクザ屋さん その他ケンカの好きそうな諸々の諸君と・・・

当時は「おお、タイマンはろうぜ・・・」が 常套句でした(苦笑)

夏休みの間の約40日でケンカをしなかった日はありません。
一日に何試合かしたコトもあり、約60戦して無敗=全勝でした。

近所のおばちゃんに警察に通報され、逃げるのに必死になった覚えもあります。

ある暴走族のアタマとやって 顎の骨を砕き入院させてしまい、
その後の “お礼参り” で、自宅まで押しかけて来られたコトもありました。

その頃、友達と 「もしかしたら俺たちは世界で一番強いんじゃねぇかぁ~」みたいな 勘違いしたコトも言い合っていました。
でも、道場に行くと必ずと言ってイイほど 先輩にやられ気絶することもしばしば・・だったのに・・・です(苦笑)

で、
その頃 私が考えていたコトは、
「もっともっと強くなろう ! そのためにはもっともっと稽古をしなくちゃならない !!
稽古に日曜日なんて無い !
世間の人たちが正月とかお盆とかクリスマス・・とか浮かれているときも練習するぞ !!
稽古や試合のときは思いっきり動きまくり、それ以外は寝て休息をとる。
“劇画・空手バカ一代の山篭り” のような生活をしよう・・」
でした。

ところが、ところがです・・
やはり、モノ・コトには “二面性” があるのです。

街中でケンカが強くなると “そういった世界”→どういった世界?→いわゆる “不良の世界” で
顔(名前)が売れてくるのです。

そして、
ケンカが強くなる程 その世界では チヤホヤされるんです。
場合によっては、飲み食いもタダになっちゃう。
同い年や後輩たちには 黒瀬さん、先輩たちには 黒瀬くん・・みたいに呼ばれて、みんなが下手に出てくる。

こちらは余計に勘違いしちゃって・・・

結構なイイ気分に浸っていく。

稽古に行くつもりで、駅に行くと必ず何人か不良仲間が たむろしていて、誘われちゃう。

道場に行ってノバされるより、チヤホヤしてくれる奴らと遊んでしまう。
時々必要に応じてケンカをして・・・なんだか?用心棒??みたいになってきて・・

付き合い(当時なりの義理)も出て来て、段々に稽古を休みがちになる。

あああ・・・こんなことでは、い・け・な・い・・・(冷汗)
でも、止められない・・・(涙)

高校一年の後半 半年位は、学校も休みがちになり 担任の先生から何度もお叱り・・を
というより、ご指導を受けました。

担任の先生が親身に相談に乗ってくださり、やはり 色々なコトを変えないと変われないというコトで、
(私は空手をやっていたコトも
自分が不良の世界に片足?両足?突っ込んじゃったコトも具体的には言いませんでしたが・・)

高校二年から学校の部活動に入り、柔道に復活することに決めました。

なので、空手を辞めることにしたのです。要は “挫折” したのです。
「ケンカ(他人)に強くなろうとして、自分に負けてしまった・・のでした。」

でも、今思えば早めに “挫折” を味わっておいて・・良かった・・・です(笑顔)

ま、その後もう一度 “挫折?的・・” を味わうのですが・・・(苦笑)


手術というのは、充分に注意はするけれども 麻酔を掛けるのです。特に、全身麻酔はキケンです!!

“思考”について・・・

そして、

「潜在意識」について・・・

やっと話が スタートラインに立ちました・・・みたいなトコロなんですが、
実は[意識の話・・・]自体が 「潜在意識」の話がしたいが為のタイトル名でした。


※ここで、ちょっと話忘れたトコロの補足を・・・

よく世間一般の話として
“子は親の鏡・・” というのを聞きますよね?

本当~にその通りだと思います。
そして、プラス・・
私的には “自分の周りは己の鏡・・” です。

ですから、
自分の周りの出来事や状況を観れば “自分の知らない自分(潜在意識)の思考” がわかる訳です。

言い換えると、
“もう一人の自分(もう沢山の自分)⇒潜在意識” を知りたければ 己の周りを見渡せばイイ ! のです。

でも、
それで何か?に気付けたとしても 後の祭り・・結果論からの判断しか出来ないわけですね(冷汗)

となると、
「結果」になっちゃう前→「思考が現実化」しちゃう前に、
すなわち “原因の段階” での、「自分の潜在意識のレベル」で
「”プラス思考(ポジティブ思考)” なのか?”マイナス思考(ネガティブ思考)” になっちゃってるのか?」の
判断をつけたいじゃないですか?

では、
「そのためには “どうしたらよいのか?”・“何で判断したらよいのか?”」を
知りたいですよ・・ね(笑顔)

その方法は とても簡単なのです。

けれども “私はそれに気付く”→”腑に落ちる”⇒「潜在意識に落とし込む」のに、
十年以上かかりました。

解ってしまったら、そんな話はもっともっと前に聞いたコトのある話なんだけれども
やはり、以前にもお話したように

「ヒトは自分のレベルに見合った話しか 受け取れない !」 のです。

ですから 言い換えると、
「このレベルに達するのに 私は十年以上かかった・・」というコトな訳です(苦笑)

で、
「それが出切る様になる→上手になる⇒自在に使いこなして達人・名人の域に至る」には
とてもとても大変なコトであるんです・・ね(笑顔)⇒”治療の手技も全く同じ” でございます。

その “潜在意識” 下(“顕在意識” においては自分ですぐ判断できます)においても

自分が “プラス思考” で居られる方法は・・・

実は前回の [意識の話・・・18] の最後の方に書いてあります。

そして、判断方法は・・・
今の自分の感情が “プラス状態か?”・ “マイナス状態か?”⇒”いい気分なのか?”、”良くない気分なのか?”
という、至極簡単な感覚判断なのです・・よ(笑顔)

長い補足になっちゃいましたが、
これはとてもとても大事な “奥義的なお話” でございます。


では・・

話の続き・・へ

私は”〇〇〇〇の法則” という “整理の仕方” は、とても好きで
結構子供の頃から、「何かこんな傾向なぁいい・・・?」 みたいな現象に気付くと 書き留めていました。

その中で 自分だったり、周りのヒトだったりで試してみて 「これはそうだ !!」というものに
“〇〇〇〇の法則” と名付けて 正式に保存するわけです。

でも、それは
何か? 気づいたコトを整理するのが楽しいし、周りの人達に同調してもらうと嬉しかったりで、
遊びの延長としてやっていました。

以前にも書いたと思いますが、
私は昔から 他の人たちとは、良い意味で違くなりたい !! という強い願望をもっていました。

けれども 初めの内は、
“〇〇〇〇の法則の整理” とは全然別の感覚でした。

話がまたまた、それた上に飛んでしまい 重複する部分も出てしまいますが、

私は、中学2年・3年・高校1年と3年間 柔道と平行して・・・と言うより
柔道は一旦ほぼ止めて、空手に転向しました。

私の世代の男子ならば ほとんどの方がご存知かと思いますが、
“極真空手” に『 自分の夢⇒世界一強くなりたい !!』を 見出した時期がありました。

劇画作家の梶原一騎さんが 画いた “空手バカ一代” に出会い、とてつもなく影響を受けました。
もちろん、とても良い意味で・・・

劇画ではなく、現実の世界での “地上最強” に 憧れました。
そこで、”極真会館” に入門しました。

子供の頃に2歳年上の従兄にケンカで勝ちたくて、柔道を始めたことは
お話したと思いますが、
私の年代は子供の数がとても多くて、小学校や中学校をどんどん増設している時代でした。

やはり、
ヒトの数が増えると色々なトラブルも増えますし、色んな個性の子供が沢山出てきます。

そんな中で、男の子の場合
「“ケンカが強い !!” というのは 自分のアイデンティティを守って行く、
自分の居場所を確保する為には とてもとても大切な要素であり、能力である !!」 と
当時の私は感じていました。

元々柔道をやっていて、試合等ではそれなりの成績を多数修めては いましたので、
私周辺の友達からは 「あいつは柔道が強いから、ケンカも強い !」と 勝手に勘違いしてもらえて、
意地悪をされたり、いじめられたりすることは 全くありませんでした。

ところが・・・

私の通っていた中学は 当時、一学年500人くらいいましたが、
そこに他校からの “不良と思われ・・?るスゴいカッコをしたお兄さん達” が
毎日校門の前でハッテいる、居たんです。
いわゆる シメに来ているわけです(冷汗)

そして、うわさによると 誰々がシメられて、
泣いて謝った・・とか、お金をとられた・・とか、土下座させられた挙句ボコボコにされて頭を剃られた・・とか、云々・・
怖いウワサが流れ始めました。

マジメで大人シメで、体も小さく・・
でも 柔道を習っていたお陰でどうにか自分の居場所を確保していた感じの私からしたら・・・

「いつか自分もやられて、泣かされちゃったら 本当はケンカが弱いのがバレてしまう・・・
だって、自分は従兄にすら一度もケンカで勝ったことは無いんだから・・・」

という 心配と言うより、恐怖に近いモノが芽生えていました。

だから、
「弱いのがバレちゃう前に 本当にもっと強くなっちゃえばイイんだ !!」という感じでした。

元々ストイックに努力を重ねるというのは 結構やっていましたから、
覚悟を決めて何かにチャレンジするのが、好きだったんだと思います。

“当時の極真空手” は 漫画やテレビの影響で 大盛況でした。

毎日毎日沢山の入門者が訪れて、”お客さん” が溢れ返り 道場の前の道路や近所の公園での
基本練習が普通に成っていました。

ある時期からは 稽古に言って気絶しないで帰れる日はない位 “シゴカれ” ました。

確かにモノ凄く辛かったし、稽古に行くのが怖くなってもいました。
でも、不良にシメられて 気絶したり、泣いちゃうのはもっと嫌なので頑張りました。

その頃の私が 想い描ていたコト・・・
それは、
「稽古やトレーニングのときに最大限自分の力が発揮できて、
それ以外のときは おとなしく息を潜め、誰にも気付かれない。
とにかく強くなるためにだけ生きて行きたい・・」的・・な・・・感じでした。

けれども、正直なところ
「稽古やトレーニングのときは疲れてクタクタ。
それが終わると 元気が出てきて、また稽古やトレーニングでは・・・ショボショボ(涙)」みたいに、
なって行きました。

そんな生活を3年間続けました。

でも、
確かにケンカは強くなっていました。

と、いうのも・・・
私は元々ケンカっ早いタイプではありません。だから、
最初のうちは自分を守るために強くなりたかった。んです。

ただ、空手を習い 毎日倒されて続け、一年もしないうちに
自然と自信が出始めました。

勝つ負けるというよりも、やられるコトが怖くなくなった。
ある意味、開き直れたんだと思います。

“やられるのが怖くなくなった” モンですから、後は “勝てばイイだけ !!” という感じになってきました。

そうなると、今度は自分がどのくらい強くなったのか ? 試してみたくなる(苦笑)

となると、
ターゲットは 数ヶ月前までは なんか怖そうに見えた不良のお兄さんたち・・です。

案の定・・・やりましたよ・・・(笑顔)


手術というのは、充分に注意はするけれども 人工的な外傷を負わせるコトになるのです(冷汗)

“思考”は原因であり、生み出された状況は “思考” から もたらされた結果である。

“ネガティブ(マイナス)思考” からは “ネガティブ(マイナス)な状況” が もたらされる。

“ポジティブ(プラス)思考” からは “ポジティブ(プラス)な状況” が もたらされる。

の ではあるが、
ただ単純に “ポジティブ思考” をしていれば “ポジティブな状況” が訪れてくれる訳ではない !

“ポジティブな状況” を創る(引き寄せる)には “バランス思考” が必要→大切となる!!

では、
“バランス思考” とは・・・

“ネガティブ思考” は モノ・コトの “マイナスの面” ばかりを捉えてしまっていますから、
とても良くありません。

“ポジティブ思考”は モノ・コトの “プラスの面” ばかりを捉えています。
ですので、一見(一聞)良さげに見え(聞こえ)ますが ここに落とし穴があります。

気を付けないと、自分にとって都合の良い側面のみしか見え(捉え)ておらず
独りよがりになって、よそ様に迷惑を掛けてしまうコトも有り得ます。

※モノ・コトは 常に “プラスの面とマイナスの面の二面性” を持っているのです。
つまり、”二つでセット” なのです。

※“宇宙のエネルギーバランス” としては
「量」としては “プラスのエネルギーの方が、マイナスのエネルギーよりも結構少ない !”
「強さ」としては “プラスのエネルギーの方が、マイナスのエネルギーよりもずっと強い !!”
そして、
総合的には “プラスのエネルギーの方が、マイナスのエネルギーよりも少し勝っている !!!”
と、言われています(笑顔)

“バランス思考” とは モノ・コトの二面性をしっかりと捉え、マイナス面への考慮をしたうえで
尚且つ、プラス面を活かしてゆくコトを “思い、考えられる !” ・・⇒”意識を向ける・・フォーカス出来る !!” ということです。

もうちょっと発展させると 
「“プラスの願望を持てる"・・→"楽しい気持ちでワクワクしている"・・←”マイナス面もきちんと考慮した上で"・・」 という言い方も出来ます。

武術の世界では、
「怖いもの知らずは愚かな事。」
「怖いものの怖さを本当に理解したうえで、その怖さを克服したものが本当の強さである。」
と言われます。

また、怖いものに関して・・
「見える恐怖ならばまだましだ ! 本当に怖いのは、見えない恐怖である !! 」といいます。
(→気が付かない・気が付けない←見えない・見えていない)

宇宙の法則として、
「二面性の法則」と言ったりしますが 上記のよう “な・に・か?” があります。

やはり我々も宇宙人ですから、
●宇宙の法則には “逆らえない !” という捉え方もできますし、
●宇宙の法則に “護られている!!” という捉え方もできます。

※ちなみに “宇宙” とは “親” みたいなものでもあります。
(無償の愛に満ちています)

「どう捉えた方が自分にとってイイ感じか?」
で・・、選択すれば良いと思います。

「どちらの捉え方が 自分にとって自由度が高いか?」

「イイ感じで、自由度が高い捉え方が "ポジティブ思考" である !!」 とも言えると思います(笑顔)

「そこから更に "バランス思考" が、大切となる !!!」であります(W笑顔)


色々な悩める人に聞いてみると・・・手術をして、余計に悪くなった人が沢山いらして ビックリしました。

私が “合気技” の存在を知り、その奥の深さや質の高さ等 “合気技” の凄さを知ったのは、
柔道の現役を引退して、治療家として もっともっと技術を磨き、腕を上げて行きたいと
思い始めてからでした。

柔道に価値を見出し 頑張っている頃、頑張れていた頃には “合気技とか、その哲学” は
必要なかったし、何より理解することも出来なかった・・・訳です。

“合気道”のことは知っていました。
けれども、
“合気技と合気道の違い” が 初めのうちはよく分かりませんでした(冷汗)

※「我々は素晴らしい情報を得ても、自分のレベルに見合った部分しか分からない(受け取れない)。
分からない(受け取れない)から、吸収出来ない !
だから、当然のコトとして出来るようにはならない ! なれない !!」

私の場合、年齢や状況から 体力や気力の衰えを少しづつ感じ始めて
ようやく気付き始めました。⇒「気付きには その人なりのキッカケが必要です。」

“治療という仕事” を長く続けていると やはり、”疲れる・・飽きてくる・・” という問題に
遭遇してくる話題が仲間同士で出始めます。

患者さんから 何かの感染症をもらう・・というコトではなくて、
なんだか?・・ “マイナスのな・に・か・・・?” をいただい(受け)て・・しまう のです(冷汗)

この感じを 仲間内では、“かぶる” と呼びますが
“かぶった” ままでは まずい(カラダやココロが病気になってしまう・・)ので、各々それぞれ 何らかの対応策をこうじます。

治療機器の導入や若いスタッフを雇い入れて自分は経営にまわって行く。
なにかのおまじないや占い、宗教的手法を取入れる・・等々 色々な工夫や考え方・やり方が
あるようです。

私の場合には とにかく、
「自分が治療をしたい ! 凄い治療家になりたい !!」 と いうのがありますので、
器械を使ったり、人に頼る・・というのは 有り得ませんでした。

自分がこの先、なるべく疲れずに ”かぶる” コト無しに 更に進化し、
“達人・名人” と呼ばれる治療家になるには どうしたらよいのか・・・?

私なりの気付きは・・・

「脱力」でした。

※「ヒトという動物は 本来、自分が本気(本当の本気)で意識(求める・・)すると 
必要な情報(モノやコト)を “引き寄せられる・キャッチ出来る能力” を持っているのです。
自分の “潜在意識” がそれをやってくれる。⇒そうして出たチカラを “潜在能力” と言うのです。」

「力で受け止めて、跳ね返す ! ではなくて 受け止めずにかわして流す・・・
そのカラダの使い方とココロの有り様・・・」

“余分な力を抜く。カラダもココロも・・・”

そうして、
“手技を使い、手技を研いて行く!!” でした(笑顔)

でも、
「脱力」って 言葉で言うほど簡単ではありません。

こういった話の場合、 “カラダとココロ” は ほぼ連動・・として捉えるコトが出来ます。

ある場合では、わざと “カラダとココロ” を 切り離して捉えるコトも多々ありますが・・・。

とりあえず、”カラダの脱力” として・・

まず、
自分が力んで(固まって)いるのか?緩めて(脱けて)いるのか?が判らないと、どうしようも・・ない !
全体としても、部分としても・・・

あ、
「脱力」の話も奥が とても深いので、またの機会に・・・しましょう(笑顔)

で、
その脱力の訓練・鍛錬をしながら、治療の技術研鑽も同時進行で高めてゆく。

私はその頃から、「本質力と具体力」という捉え方の括りにして “整理” をしました。

最近では
A 「根本力→意識力」
B 「本質力」
C 「具体力」
に区分け(整理)し直しました。(A+B+C+その他の要素⇒「人間力~総合力」)
この
「意識の話・・・」は A な訳です。
「脱力の話」は B で、
「手技の話」は C となるわけです。

そして、
私は「脱力」をテーマに色々やっている中で “合気技” を知りました。
とても興味が湧いて 「自分も “合気柔術” をやりたい !」 とも思いましたが、
「”治療術との並行修行” は中途半端になりかねない !!」と思い、実際にはやらずに現在に至っています。

でも私は “合気技で飛ばされた経験” が何度かはあるんです。

柔道技で投げられるのとは全く違う !

何で?飛ばされたのかが分からない!!

なまじ柔道経験があり、その感覚や理屈が入ってしまっているので
逆に色々な意味で解らない !!

です。

まるで “妖術” を掛けられた・・・?
みたいな感じでした。

しかし、”合気術を使える方の解説” を聞くと “妖術” などでは決してなく
むしろ、物理学的に理論に基ずいた 
“相手の力を抜く、相手のチカラを使えなくさせる方法” のようです。
しかも、それを一瞬のうちに行う、行えてしまうようなのです。

ビデオ撮影などでの スロー再生レベルではとても見切れないほどに・・・(冷汗)

むちろん、そんな “神業のような凄い術体系” であることに間違いは無いのですが
世間一般的にいうところの魔法や妖術ではない !
何度でも再現できる、再現出来たヒトがいらっしゃったことは現実ですから
非常に科学的(再現性と客観性が明確にあるコト)な技⇒業であります。

でも、
この神業が本当に使える・使えた方は 数少ないのも確かです。
だから、凄いんです。

“神業が使えるようになる” ためには 
色々な要素(理論的背景やその理論を実現するための気力・体力→鍛錬)が必要です。

この手の話もまたまた 機会をみて・・・ということで・・・(笑顔)


ただ、
現時点で私は “武術としての合気技” ではなく、
“医術としての合気業” を自分が使えるようになるコトを目指しています。

その先に以前お話した “魔法が使えるようになる !”
いや、                   ↑
先ではなく、”同時進行でなけれは "そう"はなれない!!” です(笑顔)

で、
今の私には 「我即宇宙」の感覚はよ~く解ります(笑顔)

でで、
思考とは・・・自分自身に対する質問なんです。


原因もハッキリしないのに どこを、どのように、どんな手術をするのでしょう・・・か?

あ、ちなみに
「我即宇宙」と言った武術の達人の先生は、”合気道” の創始者です。

私は[意識の話・・・]で 武術・武道の話がしたい訳ではないので、
あまり深くは語りませんが
ちょっとだけ・・・

私が長く係わってきた “柔道” は 
私的には、柔術の沢山ある流派のうちの一つの形態であり団体という捉え方です。

“一つの流派” と言うのともちょっと違う。

同じような感じで “合気道” があります。

同じ柔術の流れから分かれて “柔道” と”合気道” はありますが、特徴が全く異なります。

元々日本の武術は 剣術の理合い(理論)が基本となっています。

武術と武道はイコールではありません。

興味の無い方にとっては 似たように聞こえるでしょうし、どうでも良い?コトかもしれませんが、

“武術→術” と言うのは 方法論の体系化です。
“武道→道” と言うのは 方法論の体系化に更に哲学的精神論が強く係わってきます。

柔道の場合、創始者の嘉納治五郎先生はやはり 柔術出身者ですが、
“術→勝つための方法論的要素が強くなりすぎた柔術”

“道→哲学的精神論(道徳的概念)にも重きを置く⇒小道から大道への進化”
という意味を含め・・

“柔術” からの 進化の想いを込めて “柔道” を名乗られました。

しかし、私が学んだ柔道は 精神論はさて置いても、術体系そのものが力任せの方向が
極度に強くなり 体力、腕力 そして、体格の勝る者が絶対優位にある “剛道” でした。

現在オリンピック等の国際大会を中心とした “JUDO” は更に “剛道化” が進み、
“私がやっていた柔道” とは別のモノのように変化(退化?)しています。

私は小さい頃からカラダが小さめで 今でも背が低いのですが、
カラダの割には力が強く 体力にはかなりの自信がありました。

ですから、”力任せの剛道” でも 充分に対応は出来ました。
高校時代には 当時流行のウエイト・トレーニングにも積極的に取り組み、
元々筋骨隆々系でしたが 更にマッチョ的になった自分に惚れていたトコロもちょっとありました(苦笑)

確かに当時の体重は60㎏チョッとですから、相手が二倍の体重になると楽ではありませんでしたが
どうにもならない ! とは思っていませんでした。

むしろ、80㎏位で俊敏なヒト(もちろん、相手のレベルによりますが・・)の方がやりにくかったです。

体重別で60㎏級というのにも出ていましたが、その体重別の方が力比べになり易い。

つまり、”剛道の試合” になり易いのです。

だから、体力をつける ! 腕力をあげる !! コトを一生懸命にやった訳です。

そして、”そういった価値観→力絶対主義的” で モノ・コトに取り組めば、
色々コトが全て “力絶対主義的価値観” の基にまわりだすのです。

言い方を変えれば、
「私は力任せの世界に居た !」⇒「自分が力任せの価値観を強く持っていた !!と、いうコトなのです。

ま、そりゃそうですよね(苦笑)
ケンカが強くなりたくて 柔道始めて、ガンバッた訳ですから そりゃそうなりますよ・・ね(苦笑)

“ケンカの世界” というか、”ケンカモードの人のココロ” ってもろに「修羅・畜生の世界」に
行っちゃってますモンね(冷汗)


で、

対して、

“合気道” は “柔道” とは全く違う発展の仕方をしました。
私は “合気道” はやっていませんので、実態に関しては詳しくは無いのですが
“柔・剛という捉え方” で 言うならば、”柔道の剛術” に対して “合気道は柔術に近い・・” となるでしょう・・・

“合気道” は “柔道のような試合” は無く(合気道でもある分派では 試合をするトコロもありますが・・)
演武というものを行います。

柔道の創始者の嘉納治五郎先生は晩年、合気道の演武を観て
「これが私のやりたかった柔術だ !!」と、おっしゃったとか・・・という逸話がある・・とか、ない・・とか・・(苦笑)

この逸話が本当だとすると
治五郎先生は “柔道が剛術になり始めた” のを お気付きになってい・・た???のかも(苦笑)ですね

嘉納治五郎先生は 柔道家ですが、学者でも有あり 教育者でもあり 東大で教鞭をとっておられました。
国際オリンピック委員もされており、色々な広い見識を持っていらっしゃったので 
“柔道が国際的に認められるような活動” も早くから行われていたので、現在の柔道の発展もあったわけですが
その分、失われたモノも あったのだと思います。

別に
“剛術” が悪いわけではありません。

ただ、
現在の私が “求める方向性ではない !” だけです。

ちなみに
“日本武術” の体系の中には “合気技” というすばらしい術体系があります。
“合気道” は その “合気技の一部を抽出した術体系” なのです。

“合気の世界” もかなり複雑で 色々な流派が存在します。


「あとは、手術しかないね・・・」と、言われましたが・・・

私は武術・武道系の人間ですので 
どうしても何かを考えるとき、”そちら系⇒武術・武道系”(モノ・コトを置き換えて例え話的整理をする時・・に)
の捉え方に行ってしまうのですが、

昔の武術の達人と呼ばれた方で 「我即宇宙」と言っている先生がいました。

この方は 武術だけでなく ある宗教にも傾倒していたので、宗教的な観点(宗教カブれ)から
「我即宇宙」なんて、よくわからないコトを言っている “頭のイカレた爺” 位・・・に
その頃は思っていました(苦笑)

正直なところ
柔道を一生懸命にやっていた頃の私は 「力も技のうち! かなり力が大事!!」と
強く思う様になって行き、そういう(どういう?~勢いや腕力等・・暴力も含んだ “力” 優位の感覚)方向を
強めるトレーニングや考え方~価値観を持ち生きていました。

その当時の私の周囲は明らかに、”力絶対主義” 的な人たちばかりでした。
というより、私自身がその価値観で周りを引き寄せ、自分から引き寄って行った。訳です(苦笑)

私は元々子供の頃から 前述しましたように、
「一般常識からするとちょっと変わった不思議な感覚を持っている子供であった」コトも確かです。

しかし、
「ケンカが強くなりたくて 柔道や空手に勤しんだ頃には かなり違う方向(力任せの世界)に突き進んでいった・・・」
時期だと思います。

大体 中学二年生(14歳)位から35歳位までの20~21年間くらいだと思います。

私なりに見て来た “柔道の世界”(係わった時間が空手よりも柔道の方がずうっと長いです) と言うのは
“ かなり力任せの世界” で、”強い奴が偉くて 弱い奴は価値が無い !”
と言うトコロでした。
他の方はわかりません。
私にはそう思えました。

でも、
自分から飛び込んで 自分なりに頑張って、結構楽しくて 色々なコトを学び、得たモノが沢山ありました。

言い方を変えると、
14歳位から35歳位までは “力任せに生きていた→生きてみた” というコトです(苦笑)

ところが、
35歳も過ぎてきて 体力の衰えを少し意識するようになり、
それに伴って毎日やっているコトにツマラなさを感じ始め、
「この先もずーうっと同じ感じでやっていくのは 嫌だし無理だな・・」と思うようになりました。

そしてまず、
疲れへの対策を模索し始めました。


ペインクリニックにも行き、神経ブロックも受けました。変わらないどころか、力が入らなくなり 立ちにくくなって、暫く感覚がなくなり全く歩けなくなってしまいました。

「顕在意識」があくまでも ”主” であり、
「潜在意識」があくまでも “従” である。

しかし、
「顕在意識」対「潜在意識」は2:98から5:95位の比率で “量” 的には「潜在意識」の方が
圧倒的に多いのです。

とりあえず、
意識というモノを「顕在意識」と「潜在意識」の2つに分けて捉えた場合の話です。

実際にはその2つを包み込むような感じで 「集合的無意識」→「通底意識」・「集合魂」と呼ぶ
“もっと大きな何か?” に繋がっています。

それが ボワワわ~んと拡がって宇宙に繋がる ! というか、
それらそのモノが宇宙である !! とも、言える・・・!? とも、今の私の段階では思っています。

ここで言う “宇宙” とは、物理学で言うところの “天体としての宇宙” とは、イコールではありません。

私的には、
“天体としての宇宙” は 実態として存在しているのだと思いますか、
“宇宙” は 「その実態を含んだもっと広大な何か・・」⇒「フィールド・場」であり、
エネルギーの集合体だと思います。

そういった意味では、
“天体としての宇宙” は「ミクロな世界」であり
“宇宙” は「マクロな世界」・・・?
と、区分けするコトも出来ると思います。

で、
“意識”と”思考” がドウつながるの・・か??? ですよね(笑顔)


オステオパシーも受けましたが・・・全く変わらず・・・ダメでした。

私がここで “思考” について お話したい大事な方向性は、
「思考が現実化する→実現する」訳ですから “自分が思い、考えたコト” が 
実際にそうなるという捉え方を基準としたら・・・

良いコトも、悪いコトも・・・実現する。わけですよ・・・ね

じゃあ ~ 良いコトばかり考えて、悪いコトは考えなければイイ !

“思考”

“考える” 方が “思う” よりは コントロールしやすいですよね。

でも、”思う” のだって 少し訓練すれば、あまり悪いコトを思わないようには 成れる、慣れる・・?
これだけだって、結構大変だと思うんですよ。

ところが、
この “訓練” と言うか、”慣らす” というか、通常コントロール出来る様になれるのは
“顕在意識” の部分での話な訳です。よ

ヒトの意識は 分類の仕方にもよります(論文ではないので、学説や資料の出所は一切省きます)が、

〇顕在意識(意識)~いつもの自分

〇潜在意識(無意識)→深層意識~もう一人の自分・その他の自分・沢山の自分

〇集合的無意識→通底意識・集合魂

生命に係わる、”ヒトという生命全体に共通する大切な情報” を共有して
種族を守るために受け継がれる根本的に重要な情報を共有・共存意識の集合体

重要なのが・・・

潜在意識です。

そして、
“潜在意識と顕在意識” いいえ、”顕在意識と潜在意識” の「関係性」なのです。

え?
“潜在意識と顕在意識” じゃなくて、”顕在意識と潜在意識”・・・? ひっくり返しただけで
同じじゃないの? ですが、

同じじゃないんです。

例えば何かの式典とかで座る順番とか、名前を呼ぶ順番とか・・・間違えると大変なシーンって
あるじゃないですか・・・

それって、順番が立場の優位性⇒権力関係を表すわけですよね・・?

その立場関係をはっきりさせる必要があるんです。

“潜在意識” は “顕在意識” に対して 「絶対的に優位な立場にある !!」 と・・・。


色々なタイプのカイロプラクティックにも何度も通いました・・・が、やっぱり・・ダメでした。

 では、まず
“思考” について・・・ですが、

例によって
“一般的な解説・定義” をお伝えしたいのではなく、
“裏のメカニズム(裏メカ)⇒本当のメカニズム(本メカ)” をお伝えしたいのです。

「モノ・コトの本質を知っていれば 応用が利きます。」

しかし、始めのうちは
まず、”やってみるコト”。
“理屈云々・・・” ではなく、”感覚的な体験” をしてみないことには 何も始まりません。

でも、私は ”理屈云々・・・” を言っています。

矛盾していますよね・・・(笑顔)

確かに 理屈よりも実践が優先で、大切であることは多くの場合、そうなんです !!

でも、時と場合によっては 逆転するトキ・コトもあります。

特に通常では気付き難かったり、解り難い まずは自分ではどうにもこうにもなりようがないコトは
先にある程度のコトを知らないと、何も始まらない ! 始まりようがない !! のです。


例えば
○”理屈が大切” を”A.顕在的”
○”感覚が大切” を”B潜在的”
と、分けて考えてみます。

状況によって AとBのどちらの方が大切で優先なのか? というコトもあるし・・・、
状態によって AとBのどちらの方が大切で優先なのか? というコトもあるし・・・、

でも、いずれにしても AもBもどちらも大切なんですよね(笑顔)

時と場合、状況や状態、その人それぞれの事情によって
どちらが正しい? と言うよりは、どちらが優先するのか・・・? なんですね。

そして、
ヒトは時々 バランスを崩すモノなんですね。

バランスを崩したときには そのバランスを取り直す必要がある ! というより、
自然とバランスを整えるコトが起きてきます。

我々の持っている”自然治癒力” もその法則性に基ずいた能力であると言えます。

その法則性とは・・・“バランスの法則” です。

“意識の話” や “宇宙の法則の話” をお伝えするときに、
どのような話のもって行き方を しようか・・・? とは 時々考えるのですが、
前述したように 波の乗ってくれば、私の潜在意識(その他の自分)が勝手にやってくれます。

しかし、
一旦流れをとめてしまうと いつもの自分(顕在意識)に戻っているので、
やはり 少し考えないと流れが起きない ! 波が起きないから、乗れない !! みたいなコトが起こるのです(苦笑)

“意識の話” や “宇宙の法則の話” をお伝えする一つのパターンとして、

よく使われている呼称で 1.〇〇の法則2.〇〇の法則・・・と列記してそれを説明していく。
“定説的な一般論” と “例外的な特殊論”⇒(私的には “裏メカ・本メカ”)を 
テキスト的に紹介し、マニュアル的な方法論へ展開させていく。

きっと、本にして印税を求めるのならば そちらの作戦がよいのか・・な?
とは、考えます。

でも、私は「私の施術を受けている本気で良くなりたい ! 治りたい !! 方々」に向けて情報を
発信させて頂いているので、どうしても “逆の展開” になる “よう” なのです(笑顔)

いずれどこかで、
まとめの形で きちんと列記したい ! とは思ってはいますが・・・

また “記述式伝承” ではなく、”口述式伝承”。 “記伝” ではなく、”口伝”。カッコいいでしょ?
“一子相伝” なんていうのも 武術や芸事の世界ではありますよね・・・(笑顔)

あれ?
でも、ブログなんだから 書いてる訳ですよ。なので、”記伝” になったゃうのでは・・・?

いや、
良いんです。
お伝えの仕方や語り口調が “記伝” ではなく “口伝” なんです。
話してるんだから、書くよりも自由度が高く必要に応じた対応度(臨機応変)が上がるんです。
列記しちゃうと、束縛度があがる→内容が、意味合いが、狭くなり堅苦しくなっちゃうのです。

で、
だから、
話が飛ぶんです。いえ、わざと飛ばさせているんです(苦笑)

それによって、
読んでくださっている方々に想像力(イメージ)からの創造力(クリエイティブさ)を引き出させたい !! のです。

ある一つのテーマを語っていると 補足説明をする必要が出てくる。
より、キチンと解って欲しいから・・・
で、
補足説明をしていると 補足説明の補足をする必要が出てくる・・・の繰り返し的になりますが、
私的には 決して行き着き先が分からなくなることはない !! です。
でも、時々一瞬わからなくなる場合は 無くはない ! です。

あれれ・・・?

思考について・・・の話が まだまだ、まとまらナイ・・・(冷汗)


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