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院長ブログ

なんで私は"ほねつぎ"になったのか・・・①

前回は ホームページに対しての私の想いをお伝えしました。

今回は・・・

私は なぜ? ほねつぎ(柔道整復師)になったのか・・・?

そして、
なぜ? “
「整骨院”」から「整復院」に屋号を変えたのか・・・?

をお話しします。


では・・・

私は小さいころから柔道を習っていました。
 
私が柔道をやっていた理由は いわゆる”ケンカ” が強くなりたかったからです。

とはいっても、他人とのケンカではなく、”兄弟げんか”~正確には、従兄とのケンカ~です。

中学生いっぱいまでは、柔道の試合より、従兄とのケンカに負けたくないが為に頑張っていたんです。

さすがに高校生になってからは 従兄とではなく、試合に勝つために目的は変わりましたが、

実はけっこう “ヨコシマな理由” でやっていたんです。

ま、理由はともあれ、要は柔道家から柔道整復師に転身した、典型的 "ほねつぎ" です。

誤解なきようお断りしておきますが、
私は子供のころから 他人とすぐにケンカをしてしまうようなタイプではありません。
従兄に勝てないのが悔しかったんです。

で、
柔道という競技は 決して危険なスポーツではありません。

野球やサッカー、バスケットボールやバレーボール等となんら変わらない、
むしろ 安全性は高い部類に入ると思います。

違う視点から、
実践的な格闘術として、捉えようとすると、あまり 殺傷性は高くなくて、”強くない、役に立たない!格闘技 ”
ということになってしまうかもしれません。
 
体育スポーツ的要素を高めたために、そうなったと思います。
でも、殺傷性を落としたために、オリンピック競技になれた、なったとも思います。

あれ・・・?
話がズレてしまいました???

あ、
でも、全く関係無くは ないんです。

私がほねつぎ(柔道整復師)の "道” に入ったのは、柔道のおかげ(いや、むしろ従兄のおかげ? かも)です。
 
私は典型的 "ほねつぎ" 出身の "治療家" であります。

ですから、
"骨" を 観て、視て、診て、”骨”そして、”関節” をいじってきました。


ここで大切な話に入ります。(またまた主題とはズレます)

私がやって来た "ほねつぎ" は現在 一般的、社会的に皆さんが思っておられる・・・で あろう?・・・?

★「健保を使って、電療をしてから、マッサージをしてくれる処⇒整骨院・接骨院⇒柔道整復」では 決してない!! のです。

元来、 "ほねつぎ" とは "骨を接ぐ" ⇒ 骨折・脱臼・捻挫・打撲・挫傷(肉離れ)等を徒手的に整復(=復元・元に戻す)する仕事なんです。

 マッサージ屋さんではないのです。

最近 この違いがわからないコトから来る誤解は、

ある意味  “私がやって来た柔道” と "オリンピック等でやっている国際柔道" が、かなり違うモノであること と似ています。

もう少し言うと、
現代柔道の祖・ルーツである古流柔術(特に合気系柔術)は スポーツ化した柔道とは まったく違う高次元の素晴らしい術体系をもっていました。
それが今では ほとんど廃れてしまっています。
 

そういったコトと
同じように 重なって感じられていて、”私のほねつぎの仕事” と "一般的な整骨院の仕事" を混同されるコト・・・に哀しさを覚えています(涙・・)。

やはり、
「モノ事は 良くも悪くも時代とともに変化するモノなのでしょう・・・?」か。

●良く変化すれば⇒進化〇
●悪く変化すれば⇒退化✕

でもそれは 見る角度や、価値観によって 良い・悪いは逆転することも多々あります。

また、「仕事というのは社会に必要とされるコトが繁栄して行く条件である!! 」 とも思います。

ですから、”従来のほねつぎ” というモノ(スタイル)が、あまり社会に必要とされなくなった・・・???とも考えられます。…涙涙涙。。。・・・
 
なんだか、書いているうちに長くなってきたので 続きはまた次回に・・・ということにさせて頂きます。


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